激萎えして1週間ほどアケコンを避けた。ある程度の間をとったから対戦してすぐゲンナリするとかもないでしょうということでランクマにでかけてみる。いちおう平気。
方針が整理されたから、しばらくの間は平和にやれるんでないだろうか。

方針?

才能が極端にないか、努力の仕方を根本的に間違っている。
これが改善されないうちは何をやっても上手にならないので、いまの延長線上でなにかの効果を期待して努力することに意味がないと考えることにした。
3年半やりましたとか喚いている、努力と思いこんでいた時間を無駄と認めた。
なので今の能力を上限と仮定し、真面目に練習をしないで続ける。
どこかのタイミングで記憶の構造に変性が生じて上達が見込めたら、そのときは何をしたら上達するのかが見えるはずなので改めて練習を始める。
いったんこの考え方で格ゲーと付き合う。

別に上達するカテゴリを持つ

仕事は「上達」とあまり縁がないなと思う。プログラマーは知識をダイレクトに成果へと変換する職業で、手仕事で頑張る分野じゃない。逆から見れば、何かが上手じゃなくてもやっていける仕事だ。

先日ベースを始めた。こいつは上達の余地がめちゃくちゃある。楽器は知識だけだと意味をなさず、手が仕事を覚えないといけない物のひとつだ。こいつはいい。
今は指がもつれて下手なのだが、続けているうちに上手になるかもしれない。
また、ワイプアウト的なレースゲーが好きなのでBallisticNGを再開した。こちらも「コースを覚えて最適なラインに自機を動かす」行為の上達が期待できる。

こっちで上達が体験できるならそれでいいじゃんってことと別に、上達のプロセスを脳が体験することで、格ゲーの側でも上達に必要だった要素に気づくとかのフィードバックが発生するんじゃないかなと思っている。

野球とか弓道をやってたやつにダーツをやらせるとすぐ上手になる。楽器ができるとレバーレスコントローラとの親和性が高い。音ゲーうまいと何故か格ゲーもうまかったりする。
一見、なんの関係もなさそうな2つが一方を補完する。一方で得た上達の経験をレールにして別のものを乗せ、上達のスピードを加速することがある。

思えば、なにかの上達を伴う遊びをすることが少ない子供だったわ。ノウハウを蓄積して進捗させるものばかり選んで遊んでた気がする。これかー。気づくの遅かったな。
他で色々と上達の回路を育つつ、格ゲー1年目ですくらいのつもりでやってこう。
なので、真面目に練習をしないエンジョイはこれまでの取り組みの全否定には違いないのだが、それほどネガティブな方針でもなかろうとも思っている。

リンク

特定の動作について練習をする際、第一次運動野と皮質下(視床)との連携がうまくいっていないものと考えられます。そのため、その連携を高次運動野が助けている可能性が考えられます。一方、上達すると、高次運動野の手助けがなくても、第一次運動野と皮質下との連携が洗練され、その動作はスムーズに行われるようになる、ということが、本研究から考えられました。

「学んだ」ことが「身につく」ときの脳の変化
(大学共同利用機関法人自然科学研究機構 生理学研究所)

One thought on “スト5再開しつつある”

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