キモい独り言。
プロかどうか・配信してるしてない問わずいろんな格ゲーマーをフォローしている中で、病んでる人がいる。実際の人数としては一人じゃないが仮に一人とする。
目指しているリーグ帯とか大会とか目標とか亡き友との約束とかがあって、目指しているのか十分な強さを手に入れたと思っているのかはわかんないけれども、そこに到達できていないことを不満そうにしている。
たいてい若い方だし、若いときってそんな強烈な傲慢さとか自意識があっていい。
ずっと追いかけてるわけではないが、見かけた時に楽しそうにしていたためしがない。現在地点にいては満たされない、居場所ではないと判じているからそりゃそうだろう。
でまあ、思いはするじゃない。
満たされない理由を分析するとか、たとえばLPみたいな他者への依存もある値への考え方とか、思い込みをほぐすためのアレコレとか、あるよなあみたいな。
仲良さそうな人がたくさんいるのに、課題の分離の話とか誰もせんのか。皆同じように苦しむエコーチェンバーの住人なんだろか。
現状の不満に満足する
苦しむことを目的にしちゃう倒錯ってあると思っている。
苦しみを抜け出したいと思っている一方、苦しんでいる姿が自分だと認識してしまう。
デブで売ってた芸人が痩せて売りを失うのを恐れるみたいなことだろうか。適切かよくわかんないけど。
それをアイデンティティとしちゃうのは危うい。自傷行為でしかないしね。
格ゲーはeスポーツとかゲームという言葉とも遠い、ちょっと異質なジャンルになったと思っている。
「はーたのしかった!またやろ!」
って終える人ばかりではない。歯噛みし、判断ミスをくやみ、次回への対策を考えつつゲームを終了させる人がたくさんいる。
よく言われることだと思うけど、どっちかっつうとゲームより現実の格闘そのものに近い。
殴り合ったら精神的・肉体的にも痛みがある。
また、負けることで支払った時間や努力のリターンが得られない痛みも伴う。
格ゲーは肉体的な苦痛がない点と、現実の格闘技よりたくさんの試合回数を経験する点が違う。
Wikipediaによればキックボクシングの武尊選手の総試合数が42だそうだ。ボクシングのマイク・タイソン選手が58。ときどさんなら58試合くらいは1年で消化しきるだろう。
実際に殴られてないからって、1000回わからされたら痛いに決まっとる。どっちが、って話じゃない。
こんな遊び、そう多くはない。
で、こんだけ苦しむ回数が多いゲームで起きやすい倒錯が、苦しんでるわたしが真実のわたしってものなんじゃないかなーと思う。
なので満たされていないようでいてすでに満たされていおり、ゆえに満たされない。
まあ若いからね
ちょっと時間経てば憑き物が落ちるはず。
つまり満たされない何かは満たされずに終わるのだけれど、そこに欲しい物があるわけじゃなかったって気づくはず。
気づかず進んで病院のご厄介になるかもしんない、その当落線上にいる人へどう振る舞ったらいいのかなっていうのが難しい。
遠くからたまに見ている程度の人がいきなり説教始めたらキモいし、わたしはおじさんムーブを忌避して生きてるので口を出すとかはしない。できないっすよ。
たいして仲良くもないくせに、理解者気取りしてんじゃねえよって。
夢中になってるときってそんなものだよねとも思うし、あんただって昔そういう事あったでしょって言われたらそうなんで、チラシの裏にしか書けないわけ。ツイッターにこんなこと書いたらキモいわけ。
はーキモ。おじさんキモいなー。