のは、やめたほうがいいんじゃないかという話。
あ、ご気分害しますよー。いいですかー。
「私いわゆるアラサーなんですが、」
とか、いわゆらないし30代を指す言葉を何かオブラートにでも包んでいるつもりなんでしょうけど、考えてみてほしい。なぜ言い換えたのかがよくわからなくないですか。
ねえ、なんで言い換えたんですか?
バツイチとかアラフォーアラサーとかああいう、早い話ぶっちゃけ正直、
もう商品価値ないんだけど生きてます
みたいな存在を指す表現の周囲には、こういう、本来の意味をなんとか隠して真実を見せないようにする言葉が、水カビよろしく漂っているというイメージ。
何が気まずくてカモフラージュを計るのか知りませんが、その言葉を用いて騙す相手が他でもない自分になっている気がしていて、それって滑稽じゃないですかと思うのです。
アラフィフとか聞くと腹筋力入れてないと危ないもん。向こうはそりゃ必死だよ。レンジャーもかくやの迷彩を施して「私まだいける」と暗示かけてんでしょうけど、そのトンチキな私安売りしません宣言を高らかに歌われてる我々は、そんなの、関係ないんですよね。
どうでも、いいんです。
なんで、ハゲでもバツイチでもちびでもデブでも人工透析でもアラフィフでも共産党でもいいんで、回りくどいんで、そのまま表現してくれる方が楽なんです。
ああ、オバサンだと言われたくないんだなとか気を使わせてるんですよあなた。こっちに莫大なコストを発生させているわけです。
あんたの恋愛体質とか完全にどうでもいい我々にコストが発生しています。公的資金の投入が必要なレベルです。
こっちの知らないところでエスケーツーとかコウジュンとか色々頑張るのはいいんです。若々しくありたいとする姿勢もいいと思います。
が、持って回った変な言葉を弄して「察してちゃん」しつつ、自分を無理やり若い人扱いさせようとするその態度については、ちょっと看過しかねるんですよねと思うんです。
昔みた人で、60歳くらいの、日舞仕込みの背筋の伸びがシャンとした、かっこいいおばあちゃんがいたんですよ。化粧もそんなに厚くない、なんというか、品の良いラインというのをよく分かっていらっさるのだろうなあという佇まいの方でした。
翻って、40だろうが50だろうがいいんですが、表面仕上げがもうなんだか残念なところに、無理くり20台30代のテクスチャ張り込もうとして、いろいろと相乗効果が発生しちゃってる事例とか多すぎんですよ。みっともないからやめたらいいのに。
みっともないといいました。
「いや俺はまだいける」
とばかりに髪を頭頂部横断の旅に出してバーコードを生成していらっさるお父さんがたと、やってる内容はあんまり変わらんのかなと思いってるわけです。ピッ、菓子パン143円です。
あれみっともないよね?
みっともないと思うんだったら、自分のことも気づけると思うんだよね。
「まてまてあたしは枯れとるわ。さてどうしよう」
ここからじゃないですかね、品とかそういうのって。
品がどうこうとかもあれなんですけど、上に上げたような流行り言葉ライクな色々ってのは、それもう一般にまで浸透してるから、あなたが使い始めてるんだって事実に気づいて欲しいんですよ。
あんたが流行りだと認識した時点で、もうそれ死に始めていて、そういう視野から見るとやっぱり、みっともないっていうか頑張ってついてってる感みたいなのが透けて見えちゃうんですよ。おじさんがテニ部とか言ってるの見たらちょっと憐憫の情を覚えるでしょ?
透けて見えていいのは若い子の脚部と肩口くらいなもんで、あんたの下地とか見栄とか軽薄なとことかは、やっぱ見えないほうがいいんじゃないかと思うんですよね、お互い気をつけたいところですけど、あたしがいいたいのはそういうことなんですよ。