二人が何を指すかというと、わたしとヨッメ。
さんざん書き散らしてきたように、わたしは「大綱は悪くないが演出・表現に大きな難あり」って評価で、ヨッメは両手をあげて歓迎している。
よかったポイント・よくなかったポイントの評価もほぼ反転してる。
そもそもウクラマトが好きか
わたしはかなり苦手で、ヨッメは大好き。家族ってことでしょ!とか大喜びしている。
もうここに大きな分岐点が存在していて、交わらない。なので話が進むほど感想が乖離するから、7.0どうでした的な会話をしたときも、人それぞれ感じ方が違うね!それも選択だね!的な着地をして終わっている。
わたしからはネガティブな感想が出力されがちだから、ヨッメの楽しい気分に水を差すようなことになるんで、わたしの感想の出力はだいぶ減った。減った分ぐるぐると考え、文字を書き散らしているってわけ。
話聞いてて気づいた部分
まず前段でコキ下ろすが、7.0はテキストも演出も大味だ。悔しければ拳を握り、涙目になり泣き声を出せば悲しいシーンになるとライターは思っている。ヒルディ的なチャカポコした演出をメインラインに漏出させて滑るシーンを繰り返す。
たった一個のイシューをガン押しして王座につこうとする姿はある意味大物だろうし、一般人として生きられるタイプではない。
ウクラマトは「知る」「笑顔」を喚くBotであり、「知り終わったので殺す」とかを特にためらいもなくやる。ヒカセンにお前は家族だといいながら本来の家族である兄には実のところなんの関心もない。
独善の権化だ。
言われてるこっちからするとヤクザの親分が肩掴んできて「お前は家族だ(だから言うこと聞いてくれ)」って風景になっているが、本人はおそらく設定上もその自覚がない。
共感性ゼロの姫プ天真爛漫ピュア為政者。距離感もバグっててこわい。
暁メンバーは何故か知能低下が著しく、永久にヨイショし価値観までともにしている。
これがわたしの7.0への雑感なのね。
で、ヨッメがどういうふうにわたしの感想への感想を言ったかなんだけど、
「これはラマチの物語なんだからいいの」
というシンプル極まる一点だった。
いや、けっこうびっくりで。
われわれの如き神経質で嫌な連中は、お話の粗とかをいちいち掘り出しては「これ!こーれ!」ってやるでしょ。何が気に入らないのかをいちいち明瞭にしたがる。そうでしょ。
ヨッメが別に超ポジティブかってそうじゃないんだけど、
「操作してるのはヒカセンに違いないけど、これはラマチの物語なの、だから唐突な展開に見えても問題ないの」
って感じのことを言われて。
我々は「ラマチの目」を通してトラル大陸を見ている
で、自分の解釈や評価が変わるとかじゃないんだけど、そう見えてるなら納得のしようはあると思えたの。
戴冠式にあってすら行方不明のゾラージャを心配するような様子も特にないのは、ガチで興味ないから。そのほんとに興味ない人のレンズを通した映像を我々は液晶に写してるので、物語中においてもゾラージャの描写もしないわけ。ウクラマトの視界に入ってない人だから。
ゾラージャのお供が意味不な死に方したけど、ウクラマトにはどうでもいいので「いたけど死んだ終わり」って取り扱いで問題がない。
バクージャジャが急に改心しても、それは「お前は悪いことをしたが、わたしは知って許したからいい奴」というレンズを通すことで、許したんだから改心するじゃん別にいいじゃんとなる。
暁の面々がなにか言ってたとしても「こいつらはわたしの従者だ」と思っているから褒め称える(ように見えている)。
わかるよ。こうなるともはや7.0はファンタジーじゃなくて、人によってはサイコホラーになるんだけど、そこはそういう前提でこれ書いてるからね。
ウクラマトが見ているトラル大陸とは、そのくらい不整合で雑で都合がいい世界だ。もちろん徹頭徹尾その視点だけで描かれると我々は認知機能に支障をきたすし、ライターも表現しきれる異能ではないだろう。
だから、ウクラマトが見ていないはずの、ヒカセンVSトラル王(ごめんもう名前わかんない)のチャンバラシーンとか備考シーンとかは一時的にカメラ切り替わってるわけ。
……って認識に不時着してみると、評価の良し悪しは別にして整合が取れちゃわないですか。
いっこいっこ「これは?これは?」ってヨメに食い下がったわけじゃないんだけど、この延長線上の理解であってるんじゃないかなと思う。
なんでわたしは自分の家内の視点についての解説をよそ向けにしているのだ。謎すぎる。
ともあれ、この視点から7.0を概観すると、不思議とすべての唐突な行動や展開や物語の見え方に納得感がでてくる。
納得感しかない。
そういった唐突な見え方をする世界観の人って解釈であるなら、わたしの考えるウクラマト像ときれいに合致するからだ。
巷の悲喜こもごも
Noteには引退します等のお気持ちが散々書かれていて大盛況だ。いくつかは拾い読みしてる。共感を覚えるものや、わたしがモヤモヤしているところを言語化してくれた記事もあった。
グラフィックスアップデートで顔が別人になった(自分が該当者でない)・FF9の思い出を壊された(未履修)云々はよくわからないので読み飛ばしている。
ラマチの目から見えた風景って解釈は一定の安心をもたらすかもしれん。
けっこうな発明したなと自分では思ってる。
それにしたって2年楽しみに待ってこれっすかとかの失望が棒引きになるかってならないんだけど「は?なんでこんな拡張になった?」って怒ってる人の幾分かはショックを和らげる何かになりゃせんかな、くらいには思う。
一個キツい現実として、ライターの目=ウクラマトの目って可能性が俄然強くなることがあげられる。向こう2年はサイコホラーやるっす。まじっすか。
作品から人物像を捉えようなんて言いがかりでしかないし、なんの意味もないけどね。
石川夏子が情熱ある天才だったのはもう紛うことなくそうで、比肩するライター連れてこいってのが無理筋なのは誰の目にも明らかだ。
向こう10年を占うスタートとしては不穏な影が覆っているものの、せめてどこかのタイミングでは細やかな物語が描けるようになっていてほしい。
贅沢は言わないが、もし可能であれば他の作品で。
個人的な腹づもりとしては9.0まではニコニコしながら遊んで、その後の路線次第では「楽しいゲーム」くらいの地位に落ち着くかもしれない。P/Dの手腕によるので、この展望はかなり悲観的だといっていい。
よだん
トライヨラのロッジで一休みするぞーって瞬間に押しかけられた恐怖があまりに強いので、わたしはトライヨラのハウジングエリアをもう希望したりしません。
One thought on “黄金のレガシーをクリア(9) : 二人の評価”