月別アーカイブ: 2012年9月

i読書

i読書
Androidでもあるのかどうかは知らないけど、i読書なるiPhoneアプリを入れました。iPhoneあぷりとはいってもiPadなんかでも使えるようなのでアレですけど。

普段、行き帰りの電車などでは本を読んだり2chのまとめサイト眺めたりしています。
座れれば本も読めるのだけど立ってるとスペースの関係上そうもいかない。
加えて、電波状況が非常に悪い界隈というのが数箇所あって、Webの記事を眺めるのでも不便が多いのが現状です。
で、これだ。
青空文庫の書籍をダウンロードしておいて見られるというのは別段目新しいことではないんですが、ヨメが太宰好きでありまして、すでに紙の本2冊持っているのに「青空文庫のアプリで85円だったからアプリ買っちゃったー」とか言ってんのもう見てらんない。
見てられるか否かはともかく、そうか青空文庫という手があったかということでAppStoreを眺めた結果、掲題のi読書をインストロールしたという次第です。
蔵書数がコレほどまでになっているとは知りませんで、かたっぱしから書籍をダウンロードして読んでます。
子供の頃から気になってた(けど買う強い動機ときっかけを失っていた)阿Q正伝とか、北大路魯山人のいろんなのとか。
坂口安吾の文章があんなに面白いもんだとは知らなかった。
織田信長がすごい面白かった。さんざん良い感じに話が進んでいった挙句「未完」とかなんの冗談かとは思いましたが。
つうわけで、しばらくのあいだは通勤時間の楽しみはこれになりそうです。

富田倫生さん、あなたのおかげで、こんな便利な時代になりました。

※青空文庫についてみたいなことはいまさら書かない。

年々、窮屈になってゆく

Mixiは素晴らしい
FaceBookは素晴らしい
Twitterは素晴らしい
便利なのはいいことだ
つながるのはいいことだ
旧友と奇跡の再会をすることはいいことだ

本当に、そうかね?
作り手としては創造なり革新なり、バズワードでない「イノベーション」を否定するものではないし、できない。あたし端っこの方にぎりぎり引っかかってるだけですがWeb漂いながらプログラマみたいなのをやっているわけで。

「どこそこの店に行って美味しいケーキを食べたなう」
とか書くと、フォローしている皆さんはあたしがどっかの店でケーキ食べたと知るわけだ。
なう、とか今時ないけど。
んで後日「あのケーキどうでしたー?」みたいな話題のタネになる。ここまではいい。悪意も害もない。ツールとしてはすごく面白いし楽しい部分もある。
が、穏やかではあるものの、これは監視社会の一側面を持ってるよねって思うのね。
みんなあたしがケーキ食べたの知ってるわけよ。
んで大抵こういうのは、こちらの意図していない方角からのレスポンスが往々にして来るわけです。
「あの店のケーキ食べたんだってー?」
いやごめんね、申し訳ないけど君からのそういうレスポンスは期待してないっていうかスルーして欲しいんだよね。しがらみでお友達になってるけどさ。
こういう距離感の手合いばっかりが引っかかってレスしてきて面倒くさい思いをする。
そしてこういうレスなり絡みなりをする本人には悪意とか全然ない。
そして大抵の場合、善意でやられる色々というのがいちばん始末におえないんだ。

凄くシンプルなそもそも論として、そもそもフォローしなきゃいいじゃん問題とそもそも書かなきゃいいじゃん問題とが横たわっているわけですが、そうもいかない事情とかあるんですよ。たまには書いておかないとみたいなのあるわけですよ。
あまつさえ会社なんかの上下関係まで持ち込んでこれらたりしてるとね。

会社のソーシャルメディア担当になったらクビになりそうになってる件:暇人速報

こういうパターン。
面倒くさいんです。

・なんでもかんでも書き込めばいいってものじゃない
・公開できる「つぶやき」とは公開できるレベルの「つぶやき」でしかない
・他人から見えるのは本人によるフィルタがかかった人物像であるにもかかわらず、「この人はこういう人」という安易な断定をされ、勘違いも入り混じったより一層面倒くさい絡みが続く

小田嶋隆が書いた「笑っておぼえるコンピュータ事典」(ジャストシステム・絶版)という本があるんだけど、ここの「ネットワーク」の項に、大変興味深い記述があったのを覚えている。
ネットワークの運用にあたってのポイントが箇条書きになっていたと思う。そのうちの一つ。

バカは仲間に入れない

1992年に出版された書籍でこれだ。ほんとうに昔の小田嶋隆の斬れ味っつうのは凄まじいものがあった。
これを読んだのはそうとう昔で、すでに手元にもないから正確ではないかもしれない。
が、90年代の最もインパクトある言葉の一つとして、あたしの脳に刻み込まれたことだけは間違いない。
この警句じみた一行は間違っていなかったし、知っていながら回避するのが極めて難しいテーマだということを、刊行から20年経過した今もずーっと、思い知らされている。

が、一方で「バカを仲間に入れない」のは実現可能性が著しく低いか、大変なリスクを伴うものであることもわかってきた。

人間関係はフラットじゃない

SNSが抱えている目立たないが重篤な問題は「距離感を内包できない」ということがあるんじゃないかと思っています。
お友達登録(フォローでも何でもいい)したAさんBさんCさん。Aさんとはよく喋るし仲もいいけど、Bさんと最後に話したのって何ヶ月前かな。なんとなく登録したけど別に友達ってほど友達じゃないよね。
あたしの場合、こういう軽々しく登録した(もしくは友達申請を受理してしまった)人のアイコンが目に入るだけでストレスを感じるのよ。たんにあたしが過敏なのかもしれない。神経質な話だなとは思うんだけどさ。
また、仕事の上ではたまに会話のあるCさんだけど、プライベートの趣味はまったく交差するポイントが見当たらない。がしかしCさんは趣味全開のつぶやきを楽しそうにしていて、これがまったくなんというか私にとっては面白くもなんともない。
こんなケース。

普段からよくやり取りがあるAさんのつぶやきと、自分の興味をひかないCさんのつぶやきとが、タイムライン上においては等価値のものとして流れてくるわけです。
そんなわけないじゃん。
等しいわけないんだよ。「私」からしたら、Cさんはちょっと注意を向けでもしない限り視野に入ってこないくらいがちょうどいいんだよ。
そういった奥行きのあるSNSが次に来て、それがスタンダードになってくれることを期待しています。

ソーシャルネットワークなるものに向いていない気はしてるんですよね。自分が。
いろんな人と繋がってグローバルななんとかかんとか!とかうそくせーって思うし、気の向いた時にだけちょこっとテキトウなこと書いて、別にほったらかしでも気にしないというくらいの、ほんとうの意味での「つぶやき」であれたらいいのになと思うんだけど。
むろん、どんなSNSでも、栄える前の晩まではそういう空気なんだ。
どやどやと遅れてやってくる皆さんによって空気とルールが書き換えられ、それまでの彼らの住処だった世界の不文律を持ち込んで移植されてしまう。世界のどこでもフランス語を喋るフランス人の話みたい。

三々五々集まったはずが群れ始めると、人は、急にポジショントークを声高に始め、次に同調圧力を形成してルールを書き換えていく。どんなツールもこの圧力に抗うことは出来ず、ツール毎の特色などどこ吹く風でおんなじような用途でおんなじような顔ぶれがおんなじように蠢き始める。

いつになってもどんなツールが出てきても、こういった悩みは一向に解決しない。
一生しないんだろうと思う。それは不可避のものであるというのを前提に、いかにひらひらと泳いでいけるかというのがテーマになるんだろうな。
そういうのを目にするたびにストレスを感じている、自分の器の問題でもあるよねえ。

※ブラウザ拡張なんかで特定のキーワードや人のつぶやきを消すのがあるのは知ってるし入れてもいる。そういう選択ができるのは確かだけど、そもそものところで解決にならない。
※「バカを仲間に入れない」と言っている自分がどこかの仲間に入れてもらえないケースや可能性に関しては織り込み済み。というか、コミュニティーってそういうものだと思う。
※こういうストレスの処方箋はヒジョウにネガティブだが「複数アカウント」や「ツール毎に用途を分ける」こと。あたしは実際そうしていて、仕事関係の人が多くつながるSNSはFacebookに限定し、Twitterはしがらみのない(正確には気にしない)、基本的には好きな事を勝手につぶやく場所として利用している。
※アカウントを分けたりして安全地帯を構築した上で陰口の類を並べて喚くのはテーマに含めていない。それはそもそも日記帳に書くべきものであり、密かに同意してくれる人の出現に期待しながら「つぶやく」なんていうあざとい行為の肯定などする気はない。